2020/12/05

「ダークサンクチュアリ」の2週目(周回:46)に3人で向かいます。

寒くてエアコン付けっぱなしになってる。

StellarisやCiv6などのプレイを通して、ゲームの難易度について少し考えてみた。難しいゲームを攻略したいと思ったとき、その難しさが攻略のモチベーションに繋がっているのだろうか? それとも別の何かがあるのだろうか?

実際の所、難しくしようと思ったら調整で際限なく難しくなる。高難度と呼ばれている状態をさらに上回る難しさも用意できてしまうわけだ。それは楽しいのだろうか? 例えばそれは実績の獲得に繋がったとして、実績のためにプレイをしたいと思うだろうか?

私のゲーマーとしての結論は、それはプレイのモチベーションに繋がらないと考えた。難しいことそれ自体は楽しさの素にはならなくて、ゲームに習熟して難しいと思われていたことが次第に簡単に思えてくる流れが、ゲームにはまり込む大きな要因に思えたのだ。

この現象がはっきり現れるのは、RPGである。

プレイヤー側のキャラクターの強さに応じて自動的に敵の強さが決まる仕組みがあったとして、それを楽しいと思うか、という問題に行き着く。

最初は、なるほどそれはよく考えられたシステム、と思うかもしれない。しかし、このシステムを採用すると、「ゲームに習熟して難しいと思われていたことが次第に簡単に思えてくる流れ」は決して起こらない。キャラクターの強さやプレイヤーのスキルに応じて、システムにより自動的に難易度が上がっていくため、常に一定範囲内の難易度に保たれるのだ。

システムの恩恵により、攻略上の詰みが起こる可能性は小さいが、プレイヤーがいくら努力しようとも、攻略はその後も決して楽にならないということを意味する。難易度の自動調整システムは、プレイヤーのキャラクター育成具合や、習熟の程度をゲームに反映させなくするシステムでもあるのだ。

RPGに組み込むシステムは多々あり、それぞれ長所短所を持つものだが、これほどの罠を備えたシステムもなかなか無いのではなかろうか。プレイヤーの攻略を無に帰するこの難易度自動調整システム……。よもや本当に組み込む猛者はいないと思うが、まさかの組み込みが有り得るのが個人制作ゲームの不思議な所。

nekono側に記事として書いた方が良いのかもしんないけど、雑談っぽかったのでこちらに載せました。

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