2016/02/20

ダークサンクチュアリの5週目(周回:8)です。4人フルパーティ。

キャラクターの台詞を考えるとき、最初に書いた一文をそのまま載せることも稀によくあります。推敲ナシ! 人によってはあり得ないことかもしれませんが、私はそれもアリだと思っています。

お話を組み立てるとき、小説を書くとき、ゲームシナリオを書くとき、様々な状況に応じた指南本やアドバイス系のサイトが溢れていますが、皆それぞれに合った方法を教えてくれます。でも必ずしも自分に合う方法とは限らないようです。例えば何気なく使っている、ストーリーを「面白い」と感じることに対する定義も様々なのです。指南本によっては「正解はこうです」と書かれていることもありますが、それはよくよく読み込んでみると著者本人にとっての正解だったりします。

ここからは趣味の話になります。一応述べておきますが、仕事として取り組む場合は違います。趣味で文章を書き、趣味でゲームに参加したり、ゲームを作ったりする前提でのことになります。

一つだけ、私が思うに「おそらくこうではないか」と言えることは、文章の善し悪しは、これまでに書いてきた文章の総量にいくらかは比例して良くなっていくということです。そもそもの素材(題材)の善し悪しや、知識量、基礎的な国語力、人の意見を聞く力、コミュ力に依存する面も見え隠れしますが、それらの能力をまるで持ち合わせていない私でも、書いてきた量と年数だけは無駄に多いので、底上げとしては有効のようなのです。

素材の善し悪しは人それぞれ・一長一短ですし、知識量の差は埋めようがありません。この二つは簡単にはいかないでしょう。

人の意見を聞く力、コミュ力はまさにぼくに一番欠けているものであり、人生のうち最も多感で重要な時期である児童、生徒、学生時代を孤独(要は典型的な「ぼっち」)に過ごしてきたぼくには、一生かけても欠けたピースは埋まらないでしょう。でもそれは、それで良いと思っています。逆に考えれば、ピースが埋まっている人はピースを取り外すことは決してできないので、ピースが埋まっていない人の思考を理解することは一生を掛けないと出来ません。最初からピースが欠けている人は造作も無いことですが、それができないのです。これは「ぼっち」の強みです。仕事にも役立つとは予想外でしたが。

文章を書くときに常に心掛けているのは、自分に嘘を付いて書かないということです。本当の意味で正直に書きます。もちろん、インターネットで公開する上では最小限のチェック(法律に反していないか、など)を行いますが、その程度の推敲だけです。

ストーリーを書くときも、シナリオに組み立てるときも、常に本心で書くように心掛けています。結果、作品として発表したときに、どのような評価になるかは、まさに「知りません」の一言です。それは作者が決めることではないからです。多くの人が楽しめるようにという特別な配慮も極力減らします。配慮する、というのは作者の上から目線なのかもしれないとまで思っています。作者が十分に配慮したから楽しめるということではなく、楽しいかどうかの決定権を持っているのは、読者でありプレイヤーなのです。

楽しめるかどうかの判定は作者が自分で行うしかありません。ゲーム制作という「題材」を選択したのは、小説だと物語の差し替えは困難ですが、ゲームだとバージョンアップによるシナリオの差し替えが出来てしまうので(実際はシナリオの追加)、案外初心者向きなんですよね。そこが面白い点だと思います。

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